感謝か謝罪か

自分は大抵「ごめんなさい」だ。

 

言葉の受け答えとして、感謝する場面は当然、やってもらって嬉しい時だ。

手伝ってくれてありがとう。やっておいてくれてありがとう。

言われた方は嬉しい。言った方も、荷が降りたような軽快な面持ちになるだろう。

そんなやりとりは当たり前であり、普通に生きてきた人間なら少なからず理解できるはずだ。

 

謝罪も同じ。

壊してしまってごめんなさい。間に合わなくてごめんなさい。

言われた方は、じゃあ仕方ないなと赦したり、言った方も、相手が傷ついていないことを感じて心が軽くなる。

こちらも当たり前のやりとり。自分も同じ。どちらのパターンも、理解はできる。

 

でも、字面での理解とは裏腹に、テンプレ通りの受け答えができないことも多々ある。

例えば、手伝ってもらったときに、感謝を告げる場面にて、「手伝わせちゃってごめんなさい」となるのだ。これも字面で見ると、ただの捻くれ者だ。素直にありがとうが言えない人間。

実際にその通りなのかもしれない。人に支えられずとも生きていけるという隠れたプライドが、そんな曲がった反応をしてしまうという。

でも、それ以外に、相手への思いやりがすぎたことによる謝罪になってしまうこともある。さっきの感謝の場面での謝罪の言葉には、「あなたの時間を割かせてしまった上で、手伝わせちゃってごめんなさい」という含み。

 

でも、行間にそんなワードが隠れていても、受けては文面通りに受け取ることができないのは必然だ。

相手を思いやってこその「感謝」と「謝罪」で、相手の感情を汲み取りすぎず、素直にその思いを伝えることがいちばんなのだと考えているし、自分も改めてそうありたいと感じる。