酒好きの弊害

祖父は酒飲みだったが、飲酒している場面は年を経るごとに減っていたと記憶している。

晩年には、ほとんど飲まなく(飲めなく?)なっていた。体に気をつけて控えていたのか、ドクターストップがかけられていたのか今は知るよしもない。まあ、性格を考慮すれば後者なのだろうが。

 

話は変わり、俺も酒飲みだ。それでも、数年前までは飲んでも週末だけ。たまに飲み会ではめを外す程度。

最近は、ストレスから解放されるために、ついつい飲み過ぎてしまう。

ひどい飲み方が続いている。飲めば辛いことを忘れられるわけではない。酔いによる高揚感でほんの一瞬だけ、辛さを上書きしようとしているだけだ。だから、ほぼ毎日、徒労感を無理矢理塗り替えようとするために飲んでしまっている。

だから、翌日はさらに辛い。二日酔いに加え、また同じ明日が来てしまったと、玄関を開けたときの陽光とともに心の中で唱えてしまう。

 

そもそも酒は好きだ。特に嫌いな種類があるわけではないから、焼酎だろうがウイスキーだろうが、なんでも美味しく頂ける。

美味しく飲んでいる時は、楽しい。それは主に休暇だが、特に人と一緒に楽しく呑むことは好きだ。

 

それを、いつまでも、同じように・・・

と思っているほど長く続けられるとは限らない。酒飲みだからこそ、ストレスは酒で解消しようとすることができる。でも、いつまでも続けられる手段ではない。そのうちガタがくるはずだ。楽しい飲酒の機会も限られてしまうだろう。

 

だから、難しいかもしれないがストレス解消の機会を別で設けるようにして、飲酒はひとつの娯楽として扱えるようにしたい。

楽しみはいつまでも楽しみとして。

酒好きの弊害を一つ減らして、娯楽としての飲酒の機会をいつまでもふつうのことにしておきたいだけだ。