カップそばの誘惑

書き始めた当初から気合が入り過ぎて、シリアスな見出しの文章しか書いていなかった。だから、今回は趣向をガラッと変えてみたいと思う。

 

そこで、カップそばの話題へ。

だって、カップそばは美味いから。

なんであんなにも美味しいのだろうか。毎日食べられる。と、いうより毎日食べていた時期もあったほどだ。「美味しいよな」と言われて、「美味しいぜ」と100人中100人が返せるような、そんな美味しさ。そんなカップそばの魅力を深掘りしてみたいと思う。

 

まずは、なんてたって、かき揚げだろう。3分経った後に、適度につゆに浸らせて、さっくりと。もしくは、潤沢につゆを吸わせて、ほぐれたそれを熱々のままいただくのか。個人的には前者が好きなのだが、案外票は割れるとはずだ。だって、どっちも美味いから。

だが、話は変わるけれどあれは厳密にはかき揚げではないはず。かき揚げといえば具材がしっかりと衣の中に散りばめられていて、でもどこを噛んでもじゅわりと味が染み出してくるような立体感が「かき揚げ」なのだ(と思っている)。カップそばのそれは、美味いは美味いが、何が具材になっているのかよくわからない。つゆに浸すめの硬度も、それだけは擁護できない。おまけに、つゆを吸う速度も手作りのそれより格段に早い。

何が言いたいかというと、カップそばのそれと、思い描く理想のかき揚げ像は全く異なるし、かき揚げの定義を見つめ直すと前者は幾分か様相が異なるけれど、とはいえどちらも美味いということ!美味けりゃいいのだ。

 

次に、やはりつゆだ。いくらでも飲めそうな、でもしょっぱいからほどほどにしておきたく、でもやっぱり全て飲んでしまう魔法の液体。なんだ、あれは?

何かと合わせて飲むと美味しいとかではなく、それ単体が美味い。当然、麺に合わないわけもない。先のテーマのかき揚げがほぐれてつゆに浸ったものを、勢いよく啜ると、そりゃまた段違いで美味い。絶対に家庭では作れない味だ。だからこそ、「またあのつゆ、飲みたくなってきたな」と思ってしまうのだ。

 

思ったよりも勢いよくカップそばの良いところを書き出せて満足だ。いや、正直なところはもっと書きたいし、書き足りない部分(麺とか)もあるから、若干のやり残した感はある。

それにしても、いつの間にやら空腹感が湧き出てきた。常備しているカップそばを食べようか。