仮面を被る

素の自分を出せる相手は本当に少ない。

家族にですら開けっぴろに出せないと感じる。初対面の人だと、なおそうだ。

 

例えば、よくカラオケで聴き慣れないくらいのボリュームを出して「普段からそれくらいで話してよ」と言われても、そうできたらそうしてるよと。

なぜそうしないかって、自分としては相手や場を慮って、気にした上での声の大きさなんだ。話したい話題も敢えて避けた上での会話なんだ。言い訳するわけではないが、空気を読んでそう設定しているんだ。

でも、それって自分の出したい声の大きさや、話したい話題を出していないのだ・・・つまり、素を隠しているということなのだとも思ってしまう。

 

普段言わないことを言う。「お前って、そんなこと言う性格じゃなかったよな」と言われるのがイヤだ。だから、人によりその相手が求める性格を演じている。

自分を出せていないわけではない。相手によって自身の複数の性格を使い分けていて、だから苦しくなる。その相手が演じている自分を求めなくなったら、その時に演じる役割がなくなってしまうから。

 

それが今だ。

新しい場に溶け込まざるを得ないのは苦手だ。新しい自分を作らないといけないから。でも、それが今なのだ。コロナ禍だから、なお難しい。人と交流できる趣味として、そのためではないけれど、酒も相当飲めるようになったし、数少ない番人受けする趣味も磨いた。

沢山の性格ができた気がする。接する人間が増えれば増えるほど、社会人を経験すればするほど、その数がどんどん増えて、時たま、押し潰されそうな重圧すら感じる。

 

ふと、この瞬間ため息をついてしまう。それが、大人になるってことか?

実感した。俺、仮面を被っているんだよな。