郷里を思い出す①

自分にとって大事なものとは何なのか、掌をかざして考えることがある。

お金、家族、自分の時間、環境・・・

諸々あるが、結局最後に脳裏に浮かぶのは、ふるさと。早5年以上前に実家へ残してきた、家族、ペット、置いて別れるつもりのなかった学生時代の品など。

 

今、何をしているのだろうか。どんな状態だろうか。まだあの時のままなんだろうか。捨てられてはないだろうか。思い返しては寂しくなり、恋しい気持ちで涙も溢れそうになるほどだ。

 

生活していた時の思い出は、褪せずに、あの時のままで記憶にこびりついている。

いつまで経っても納得できていないのに、「でも、あの時家を出ていなければ、何も変わらない毎日を実家の一室で迎えていたはずだ」と、無理矢理に納得させて、でも、寂れていく故郷や、年老いていく両親を想い、心が苦しくなる。自分がいたところで、何もしてあげてられることはなかったのだろうが、それでも疎遠な場所にいることの無力さを痛感している。

コロナ禍であることが、その想いを加速させ、自分の人生を振り返り、さらに後悔させるような面持ちになってしまうのだ。

 

昨年亡くなった祖父が遺した言葉、「郷里を忘れずに」と言うひとことが、胸に深く突き刺さる。重くのし掛かる。そんなワンフレーズが、実家を出るときの覚悟を、易々と引き剥がしにかかる。

今これを書いているさなかにも、自分の決断は良かったのか、間違っていなかったのか、皆納得してくれたのかと、常に迷っている。

 

答えは見つからないだろう。でも、これだけは理解している。

この先も、迷って、迷って、でも、結局、どんな選択をしたとしても、最後は後悔してしまうのだと。だからこそ、「失敗だ」と自覚して、それをいかに和らげることができるのか、日々を楽しむことができるのかを、それだけを追求していきたい。

 

少しでも、みんなが納得できるように。自分が納得できるように。