人間、大なり小なり個性がある。
個性は、よく言えばその人の特長となる特性だし、悪く言うと単なる短所となる。
自分の個性は、恐らく、正義感。人のために何かをしたい、悪が嫌い。でも、短所として、脆い。傷つきやすい。だから、その特長をうまく活かせない。捨て個性に近いかも。
ただ、個性とは別に、勉強をそれなりに頑張ってきた。好きだったから。お世辞にも、人生100年時代、常に勉学に励むほどの頑張りは見せられなかったけど、そこそこはやってきたはずだ。
でも、勉強ができるできないは、二の次、三の次だった。今更ではないが、最近は特に痛感している。
それもまた個性なのかもしれないけど、1番に差を感じるのは頭の回転の速さ。簡潔に解説するならば、「要領の良さ」。一言二言会話すればやるべきことを理解して、二手三手先を読んで行動する物分かりのいい人。物事を捌くのもびっくりするほど速い。恐らく、そんな人間が日本でやっていける人。
街中を歩いて見渡して、そう見ることはないだろうけど、いるべきところにはごまんといる。自分の周囲にしこたま居る。
そんな人間達に囲まれて、見上げることが多くて絶望することが多い。自分が、こんな“できる“人になれていたら、なんて人生楽なんだろうと。ため息を一つ。
「やっていけねえよ」と小さく毒づいても、周り巡って、「でもここでやっていくしかない」とまたため息をつくだけだし、「じゃあもっと頑張らねば」と深みに嵌ってしまうだけだ。
だから、比べても損だし、いいことはない。
いや、そんなの知ってるって。
でも、自分はまだできるんだって思いたいし、壁を乗り越えた先に見える景色があるんだと、そう信じてやっていくしかないのだ。
同じ人間とは思えないような人は、たくさんいる。でも、そんな中でも自分の居場所を見つけようと、日々もがいている。