義務感と行動原理

やることの大方に、義務感がつきまとう。

何かしらの欲求の前に、大抵は理性が盾となって、どこまでやるべきか、やらなくていいのかがと判断が下される。

自分で、あれをやりたい、欲しいと思ったことが少ない。建前上そう思ったとしていても、例えば実際は、健康的だからやっておいたほうがいいだろう、別の人が気持ちよく感じてくれるからやろうかな、と別のことが脳内の大部分を占めていて、それに従ってしまうのだ。

今現在の幾つもの悩みも、大変がそんなしがらみの中でYesとNoがぐるぐると判断されずに脳内を漂っている。

 

やりたいことはたくさんあるはずなのだ。でも、自分のためではない、何か、誰かのためにやらないといけないようなことがたくさんで、パンクしそう。脳内のどこかでNGサインが出ているようだ。パンクしそう。

全てを投げ出して、しがらみのないところへ行きたいなどと、思わないことはない。でも、ひとつの幸せの上に成り立っている現在の生活だから、そんな場所へは辿り着けないことも十分に理解している。

 

「やらないといけない」から抜け出して、「あれをやりたい」という思いだけを原動力に動いてみたいものだ。そうすれば、どのくらい世界が違って見えるのか。そして、どのくらい成長できるのか、周囲へ影響を与えられるのか。

そんな思いは、自分でも、やらなければならないことをやらない言い訳にしか聞こえないけど、ひとつ、この書き込みがきっかけに、義務感の鎖が緩まないかなと、そう願いたいだけなのだ。