世知辛い世の中についてなんとなく考察

世知辛い、生きづらい世の中だなと感じてしまう。

一か百かではない。ゼロかイチかを奪い取っているようなご時世だから。

 

これはいい、あれはだめ。そのような議論も必要だろうが、例えば、これならやっていい。そのやり方なら大丈夫だろう、などとも。

自分が一番、他の意見はだめだ。そんな考えが散見されるようになったと、そう思う。

俺もその住人の1人だ。もちろん、その住人だからこそ内側からの意見が言えるのかもしれない。

何事も、丸く収める形で、誰か割りを食っている。自分の時もある。他人の時もある。もちろん、親族の時さえある。万人が幸せに、などとそんな絵空事と思う一方で、自分は救ってくれと切望したい時もある。そんな中で、やっぱり、一方的に被害者にならざるを得なくて、でも「その立場でいてくれたら、あとで感謝するから」と、そんなの、現代社会であり得るのかよ、と。

何が、現代。人の血も、心もいつの時も同じなのに、求める物ばかり大きくなってさ。

 

一度、自分自身を見つめ直そうと思う。自身が相手へ卑しい思いをさせないように、また、この歩の連鎖を止められるように・・・

何ができるのか、もう一度考えたいと思う。それが、大切だと、そう思うのだ。